帯状皮質って中間管理職なのか

帯状皮質(帯状回)について調べた事柄を本の形式で提示していきます。

帯状皮質って中間管理職なのか (5-2)前帯状皮質(個別機能) 2)「痛み」と「痛み」知覚と痛み「体験」(その一) 

帯状皮質って中間管理職なのか
(5-2)前帯状皮質(個別機能)
2)「痛み」と「痛み」知覚と痛み「体験」
2-0)痛みと前帯状皮質
◎前帯状皮質は、「痛み」に対して、
(1)痛みに伴う「情動の喚起」、
(2)痛みに対する「反応の選択」、
(3)痛み刺激の「予知」(予測)と「回避」につい ての「学習」に関与する。
2-1-0)身体的痛みと情動的痛み
◎「疼痛性」(痛みを伴う)冷痛刺激は、「前帯状皮質」(情動)を活性化させ、「非疼痛性」(痛みを伴わない)冷痛刺激は、「体性感覚野」(頭頂葉:認知)を活性化させる。
◎痛みは 、1)位置、強度、質などの客観的「感覚」(知性)的成分と、2)不快感などの主観的「情動」(感情)成分に大別できる。「体性感覚野」は感覚(認知)に関与し、「前帯状皮質」は情動(実感)に関与する。
2-1-1)痛みの経路
◎前帯状皮質と前部島皮質は、1)「情動行動」、2)「痛覚」、3)「自律神経」、4)「注意」に関与する。
◎前帯状皮質は、痛覚刺激で活動が高まる。より詳細に述べると、体幹や四肢から発生した痛覚刺激は、「脊髄」の後根神経節細胞に入力した後、「視床」を介して「前帯状皮質」に伝達される。
注1)脊髄には、脊髄の前根(腹根)を通って出る遠心性(運動性:トップダウン型)運動神経路と、後根を通って感覚情報を伝える求心性(感覚性:ボトムアップ型)「知覚神経路」とがある。
痛覚経路:感覚器(痛覚)ー脊髄ー視床ー(体性感覚野)ー前帯状皮質(前帯状皮質背側部:24野)
注2)前帯状皮質は、視床(感覚情報中継拠点)から強い投射を受ける。
◎「脊髄からの痛覚」情報は、主に2つの経路を経て「前帯状皮質で合流」する。
(1)1つ(内側系)は、脊髄から網様体を経て視床髄板内側核群や中心灰白質、「扁桃体」、視床下部などへの投射であり、この「直接的な投射」(情動コース)によって即時(無意識)的な防御反応や自律系反応の起動が可能となる。
(2)もう一つ(外側系)は、脊髄から視床(視床後内腹側核)を経て「体性感覚野」などに至る経路(知覚コース)であり、 この経路で痛覚の感覚的側面(位置、強度、質など)の処理がなされる。
そして、この両者(知と情)が統合されるのが「前部帯状皮質」においてである。
参考)痛覚情報は、末梢神経から脊髄後角や三叉神経脊髄路核尾側亜核へ入力され、その後は2)外側系と1)内側系の二系統の経路で上位中枢へと伝達される。両経路とも視床(間脳)で中継され、大脳皮質感覚野や大脳辺縁系など広範囲に投射入力される。さらに痛覚部位や痛覚強度の認知を担う大脳新皮質一次感覚野から大脳辺縁系にもトップダウン型投射路があり、情動形成と表出を引き起こす。また、情動の形成は、扁桃体中心核などが主となり海馬と協調しながら視床下部や脳幹へ情報伝達して、行動反応、生理的反応に上位の認知処理的反応が加わり表出される。
2-1-2)痛みの不快情動体験
◎「痛み」に伴う不快な情動体験を司る神経ネットワークは、対側一次体性感覚野(3野1野2野)、補足運動野(6野)、両側二次体性感覚野、対側後部島皮質、両側島皮質(前部から中部)、前帯状皮質(24野)、視床、脳幹、小脳、前頭前野内側部(8野)、両側の大脳基底核(線条体)である。要するに、痛みの1)知覚認知領域と2)主観的情動体験領域と3)身体的反応領域とに分けられる。
注1)「体性感覚野」と「後部島皮質」とは、痛みの「知覚認知」領域である。それに対して、「島皮質前部」と「前帯状皮質」は、痛みに伴う「情動体験」に関わる。島皮質前部は、視床の内側腹側核基部から直接の投射を受けるが、その内側腹側核は、痛みや気温、かゆみ、周りの酸素の量、性的な感触などの、情動や恒常性に関する情報を担う。
注2)補足運動野、線条体、脳幹は、「身体反応」、つまり痛みに対する「運動」や「自律神経反応」に関与する。
◎感覚としての痛みは、末梢神経の伝達速度の速い線維(外側系)を経由して、背髄視床路を経て、体性感覚野にすばやく到達する。それに対して、情動としての痛みは、末梢神経の伝達速度の遅い線維(内側系)を経由して、背髄網様体路を経て、大脳辺縁系にやや遅れて到達する。ということで、足裏をケガした場合に、痛いという感覚を感じた後に、不快感という情動に襲われる。
◎第一次と第二次体性感覚野、島皮質、前帯状皮質の活性化が、疼痛に対する主観的強度に比例して強くなる。なお島皮質には、内側系(情動系)と外側系(認知系)との両方から入力がある。
注)耐えがたい疼痛を治療する目的で、過去に帯状皮質切除術が行われたが、施術された患者は、痛みの感覚知覚自体はなくならないが、それが苦痛ではなくなるという。